教授挨拶

「ご挨拶」生化学講座教授 橋本康弘

 患者さんに対して失礼な言い方であるが、“疾患は、自然が人間に対して行った実験の結果である。”と言った日本人科学者がいる。“疾患”と“サイエンス”の関係の一面を表した言葉だと思われる。言い換えると、来院する患者さんは全て表現形(病気)を持っており、その原因となっている分子は個体(患者)にとって重大な問題である(重要とみなされていた分子のノックアウトマウスが表現形を持たないことがあるのと対照的である)。過去、疾患に関与する分子や病態生理を解明することによって、新しい診断法・治療法が見出されて医学は進歩してきた。すなわち、医学は疾患を対象とする実学としての側面を持つと同時に、得られた知見がサイエンスへも貢献する基礎研究としての意義を持っている。糖尿病研究によるインスリンの発見は、その好例であると思う。

 ヒトゲノムは2003年に解読され、2万数千といわれる全遺伝子の網羅的な発現解析が可能となった。また、プロテオミクスが一般化しつつある。前者は塩基配列、後者はアミノ酸配列といういずれもデジタル情報であり、コンピューター解析に格好のターゲットである。このデジタル情報によって生命現象が全て理解可能であるとの夢が語られた。しかし、生体反応(とりわけ病的反応)はタンパク質の脂質修飾や糖鎖修飾など、デジタル情報によって直接コードされない “遺伝子の二次的産物”が重要なことがある。我々は、認知症を初めとする中枢疾患における糖鎖修飾が診断マーカーになることを見出し、その系統的な研究を行っている。疾患で変化するマーカー分子は病因に関与することが稀ではなく、その分子の病的および生理作用が明らかにされることがある。疾患のマーカーや病因の研究を通じてサイエンス全体に貢献したいと考えている。